melt

※食べ物絡みで少々グロい描写があります※

 2月14日、夜。
 最後の一つを数え終えて、ノートの端っこに数字を書き入れた。
 顔を上げると、同じタイミングだったらしい治と視線が思い切りかち合った。
「いっせーのーでー!」
 掛け声のタイミングまでピッタリ同じ。
「85!」
「89!」
 数字は、違った。

「ハァァァー!?嘘やん!」
「よっしゃコラァ!!」
「待てや!お前、絶対間違うてるて!俺の方が少ないとかおかしいやん!」
「往生際の悪いやっちゃな。間違うてませんーちゃんと数えましたー」
「いーやあり得へん!もっかい!もっかい数えんで!」
「しつっこいねん!これで三回目やぞ!いい加減負けを認めんかいボケ!」

 んべぇ、と憎たらしく舌を出した治を睨みつけたところで、気分は少しも改善されなかった。
 世界中の誰より、コイツに負けるのは悔しい。
 クソが!と独り言ちて天井を仰いだ俺の横で、治は机の上のチョコの山を眺めてホクホクしている。

「いやぁ、毎年ありがたいなぁ。当分甘いオヤツには困らへんぞ。……オッ、これ知っとる!むっちゃ美味いやつ!嬉しいなぁ」
「お前、腹に入るモンは全部美味いんちゃうん?」
「せやで。けど、美味い中にもランクっちゅうのがあるやろが」
「お前の舌にもそんな繊細な感性が備わっとったとは知らんかったわ」
 我ながら皮肉たっぷりな口調と表情で言ってやったのだが、治はフフンと鼻先で笑った。
「何を言うても負け惜しみにしか聞こえへんで、
「喧しわ!……ええねんええねん、俺には千人分の価値がある、大本命チョコがあるんやからな!」

 きらびやかな包装紙の群れの中で、逆に目立っている素朴なラッピングのそれを手に取り、治の眼前に突き付ける。
 がくれた、手作りのチョコだ。
 一番に渡したかったから、と早朝にわざわざ家の前で待っていてくれたのを知った時は、嬉しさのあまり玄関先なのも忘れてその場で抱きしめてキスしてしまった。
 あかん、お家の人に見られたら恥ずかしいやん、と慌てていた様子も可愛くて、思い出しただけで顔が緩む。

「せやな、それを出されたら俺には勝ち目ないわ」
「フッフ。大事なのは愛やで、愛」
「さっきまでアホみたいにムキんなって数にこだわってたのはどこの誰やねん。……あーアホくさ。俺、風呂入って来るわ」
「おー行け行け」



 治が部屋を出て行った後、俺はのチョコを早速味わった。程よい甘さで、たっぷり入っているナッツが香ばしくて美味い。
 三つほど立て続けに食べて、残りは明日以降のお楽しみ、と机の引き出しにしまい込んだ。

 ――他は治に全部やってもええねんけどな。

 勝負さえ終わってしまえば、残りのチョコに用はない。
 だが、部活帰りに小腹を満たす手段としては役に立つ。
 とりあえずは、と山になっているチョコの包みを全部開いて、手作りだとわかる物を選り分け、片っ端からごみ箱に放り込んだ。
 こんな事をするのは、断じて俺が人でなしだからではない。
 治も風呂から出たら、同じ作業をするだろう。
 俺たちは二人とも、手作りのチョコにはトラウマがあるのだ。



 自慢じゃないが、俺も治も物心付いた時から今に至るまで、モテなかった時期というのが存在しない。
 バレンタインに貰うチョコの数を競い始めたのは、小5の頃だった。
 あの事件が起きるまでは、手作りの品も全て美味しく頂いていた。

 忘れもしない、中2のバレンタイン。
 その日は俺が勝って、気分良くチョコを食べていた。
 負けた治も、食べ始めてしまえば勝負の事なんぞすっかり忘れて、美味い美味いと喜んでぱくついていた。
 手渡された物、机や下駄箱にコソッと入れられていた物、全て合わせて30個近くはあったように思う。
 適当に選んだいくつかを並べて、順番に味見をしていく。俺の口に合わない物は、治が引き取ってくれる。
 そうして何個目かを口でとろかしていた時、妙な食感があって、俺はティッシュを取ってチョコを吐き出した。

『どしたん?そないマズかったん?』
『いや、なんや変……』

 言葉の途中で石みたいに固まった俺を見て、治は横からティッシュの中を覗き込んだ。
 治がヒュッともヒャッともつかない悲鳴を上げるより早く、俺はダッシュでトイレに駆け込んだ。
 そのチョコの中には、短く刻まれた髪の毛が入っていた。

 俺がトイレにこもっている間に、治が涙目で事情を説明すると、母親もさーっと青ざめたらしい。
 今後は知らない人からの手作りは、気持ちだけありがたく頂いて断るか捨てるかしなさい、とキッパリ命じられたが、母親に言われずとも他の選択肢など考えられなかった。
 それくらい、髪の毛入りチョコの衝撃は強烈だった。しばらくは二人揃って、市販のチョコさえも食べられなくなった程に。

 以後、“宮兄弟は手作りアカンのやて”と校内中に素早く情報が流れたから、それからは市販品か食べ物以外のプレゼントしか渡されなくなった。
 けれど他校生やその他のファンにまで情報が行き渡るはずもなく、バレンタインには手作りチョコを寄越す女も多い。
 最悪の記憶を何度も呼び起こされるのはかなりキツくて、俺も治も実のところこの時期は小さな憂鬱の種でもあった。

 ただし、何事も例外はある。
 可愛い彼女がくれるのなら、むしろ手作りこそ大歓迎だ。
 去年は治に彼女がいて、俺にはいなくて、今年はその逆。
 さっき放ってやった逆転満塁ホームランのセリフも、お互い何度か言い合っている、お約束みたいなものだ。



 スマホを手にしてLINEを開き、に『今、話せる?』と送信してみれば、すぐ既読が付いてOKのスタンプが送られて来た。

「なぁなぁ、聞いてや!」
 勢い込んでそう言うと、がクスッと笑った。
『また治君と何かあったん?』
「チョコ勝負で負けた!あいつ、めっちゃドヤ顔しよって腹立つ!」
『あんなにてたのに、負けてもうたんかぁ。治君もモテるもんねぇ』

 昼休みにと一緒に食事をしている間にも、俺は廊下に呼び出されてはチョコを手に戻って、を繰り返していた。
 はそんな状況に機嫌を損ねる事もなく、『さすがやなぁ』と感心したように言っていた。
 うるさく妬かれるのは大嫌いだが、こうアッサリなのも寂しい。
 それを言ったら、治には『我儘も大概にせえや』と呆れられたけれど、ちょっとぐらいは妬いてもらえないと不安にもなってくる。

「でもな、でもな、本命チョコは俺の方が多かってん!」
 そこまでは把握していない部分を盛って、の反応を窺ってみた。
『そうなん?ほんなら、実質的には侑の勝ちやん』
 求めていたのとは全く違う言葉を、それも笑い交じりに言われて、俺は完全にムキになった。

「3年のな、●●先輩て知っとるやろ」
『ああ、去年の学祭でミス稲高になった人やんな?』
「せやねん!あの先輩からも本命チョコてん!スゴない!?」
 本命かどうかは別として、美人で名高い先輩がチョコをくれたのは嘘じゃない。クラスの男どもからは、どつき回されるくらい羨ましがられた。
 さしものもちょっとは動揺するだろう、そう思ったのに。
『スゴいやん侑!そらもう、完全勝利宣言してもええんちゃう?』

 ええー、と俺が声に出すと、は『どしたん?』と聞いて来た。
「どしたん、やのうて!……ハァー……凹むわぁ……」
『なんやの、急に。……ああ、もしかして妬いて欲しかったん?』
 ぐ、と喉から妙な音を漏らした俺に、はケラケラと笑った。
「笑うなや!なんやねん!お前、肝が据わり過ぎやろ!ちょっとは慌てるとかないんか!」
『あははは、ごめんごめん。わざと煽ってるんやろなぁて思たから、つい』
「お見通しか!クッソ腹立つ!完全に俺の一人相撲やんけ!なんやねんお前!クールか!出木杉クンか!」

 いきり立つ俺に、は何度も謝って、それでも笑いが止まらない様子で、しまいには噎せて咳き込んでいた。
 俺も次第にバカバカしくなってきて、やがてと一緒になって笑った。
 治が言う通り、俺の我儘でしかない事は端からわかっていた。
 認めるのは癪だが、親よりも俺を理解しているのは治で、その治の指摘が外れた事は今まで一度だってなかったのだから。

 そこからはと普段通りの雑談をした。
 普段通り、のはずだった。
 通話を終える間際にがぽつりとこぼすように告げた言葉を、俺は何度も頭で反芻した。
 それから椅子を蹴倒して立ち上がり、ウインドブレーカーを着ながら階段を駆け下りて、居間の母親に「ちょお出て来る!」と怒鳴って外に飛び出した。



 ――あのね

 あのアホ。
 いや、ちゃうやろ。アホは俺や。

 ――私は

 なんで気付かんかったんや。
 今までずっと、俺は。

 ――出来たカノジョのフリしとるだけなんよ

 俺は、の何を見とった。
 何を分かったつもりになっとった。

 ――けど、本物になってみせるから、見とってな



 の家の前に着いて、肩で息をしながらメッセージを送った。
 “外、見て”

 2階のカーテンの向こう側で人影が動いて、カーテンが開いて、すぐにまた閉じた。
 程なくして玄関から飛び出して来たは、目を真ん丸にして俺を見上げた。

 朝と同じようにその場で抱きしめてキスをした。
 ごめん、と伝わるように。
 好きや、と伝わるように。
 それから、言葉でも。

「お前な、出来たカノジョやのうてもええねんで」
「……うん」
「お前やったら、なんでもええねん俺は」
「ありがとう。侑の気持ちは、ちゃんとわかっとったよ」
「ほんまに?」
「うん。手作りダメやのに、作って欲しい言うてくれたやんか。それだけで、充分わかっとったよ」
「そうか」
「ただ私が勝手にな、侑にふさわしい女になりとうて、背伸びしとっただけやねん」
「今のままでもええやん」
「アカン。だって、侑はこれからもっともっと凄い選手になって、もっともっと大勢の人から注目されて、今の千倍モテるようになるんやから」
「千倍て、おま……」
「あっ、一万倍?」
「いや、増えるんかい!」

 噴き出して笑って、それでも名残惜しくて腕を解かずにいると、が真顔に戻って言った。

「侑がどんなにスゴなっても、ずっと好きでいて欲しいから頑張らなって思うねん。……けど、背伸びはあかんね。反動で、思わせぶりな事言うてしもた。ごめんなさい」
「ええねん。どんな形でもお前の本音が聞けたんやから、ええねん。……けど、今度からはちゃんと言うてな?」
「はい!」



 約束します、と差し出された小指に小指を絡めて、子供のように指切りをしたのは、一部始終をの両親が居間の窓から見ていたと知って、二人揃って悶絶する10秒前の事だった。

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