裏表ラバーズ

 さんは、ちょっと変わっている。
 見た目はすごく真面目。
 スカートは膝丈、愛想のない二つ結びの髪は真っ黒で真っ直ぐだし、化粧っ気もない。
 態度も至って真面目。
 成績はいつも上位、授業中はしっかり集中してノートを取り、委員会の仕事もきちんとこなしていて、先生に注意されているところなんて一度も見た事がない。
 こう並べ立てると、どのクラスにも一人や二人はいる“真面目ちゃん”なのだが、さんにはそれだけじゃない何かがあるように思える。

 それは、決して内気でも孤立している訳でもないのに、誰に対しても一歩引いているような距離の取り方や、地味な服装や髪形では隠しきれていない整った容姿から受ける、全体的にちぐはぐな印象のせいかもしれない。
 そんなさんと去年に続いて同じクラスになった時、俺はちょっとラッキーだと思った。
 俺がさんに抱いていたのは、その程度の薄くてぼんやりとした、でも他のクラスメートに対してのそれとは違う、少しばかり浮ついた興味。
 そんな訳で、俺はしょっちゅうさんを目で追っていた。あからさまにならないように、注意深く、さり気なく。



 男同士の話題の一つとして、誰それが可愛い、誰それはスタイルがいい、ってのはありがちだ。
 隣の2組、つまり侑のクラスと合同授業の体育の時、誰からともなくそんな話が出た。
 ちょっと離れたところでハードルをやっている、同じ1・2組の女子の群れを見ながら、〇〇はええ乳しとるなぁ、から始まって、俺は××の脚派や、だの、俺は△△のケツがええ、だの、露骨で勝手な品評会が繰り広げられる。

 侑は?と振られた片割れは、一通り女子を視線で舐め回してから、〇〇の乳に一票、と真顔でほざいた。
 次は俺やろなと思っていたら案の定、治は?と好奇心満々の目がこちらを向く。
 心の中だけで“俺はさんの脚派”と即答しつつ、うーんと考えるフリをして、××の脚、と無難な返答をした。
 双子は乳派と脚派に分かれとるんやな、と笑い交じりの声が上がる中、お前は?と別なクラスメートに標的が移った。

「俺は総合的に見て、がエエと思う」
 そう言ったのは、学年内でも女たらしで有名な男。
 はぁ!?と叫びそうになった声を、俺はかろうじて呑み込んだ。
 まさか、この手の男がさんをそんな風に見ていたとは。いや、さんに目を付けるのはさすが、と言うべきなのか。
「え、?」
て、どれや」
「あれや、髪二つ結びの、△△の後ろにおる」

 一時的に騒がしくなった後、シンと静まった男たちの目が一斉にさんへと向かう。
 やめろ見るな、そんな目でさんを見るな。
「ああ、なるほどね」
「脚、長いねんなぁ」
 角名と銀島のセリフに、二人の口を塞ぎたくなる。
「顔も意外とエエんちゃう?美人系やんな?」
「ほんまや。地味やから気付かんかった」
「さすがやなお前、目の付け所がちゃうわ~」
「せやろ?隠れたお宝っちゅう感じがエエやろ?」

 ざわつく野郎どもを全員ぶっ飛ばしたい衝動に駆られる一方で、俺はどうにかこの空気を逸らせないかと必死で頭を巡らせた。
 何か、何かないか、と焦りばかりが募っていくうちに、救いの一声が響いた。
「よーし!全員整列!」
 ピーッと鳴った笛の音で体育教師の元へと向かう途中、「お前、サンうとるんやろ」と片割れに囁かれ、ギョッとして振り向けばフッフと嫌な感じに笑われて、腹が立ったので一発蹴りを入れておいた。
 狙うだなんて気持ちはなかった。
 自覚していなかっただけ、なのかもしれない。あるいは下らない対抗意識でスイッチが入ったのか。
 いずれにせよ、俺はこの時からさんを特別な存在として認識するようになった。



 それから幾日かが過ぎたある日、俺はさんと日直が一緒になった。本来なら別な女子が当番だったのだが、そいつは風邪で欠席していた。
 朝のSHRで担任がさんを日直の代打に指名した理由は、単純に彼女の出席番号と今日の日付が一致していたから。
 さんはいつも通りの淡々とした調子で、「わかりました」と返事をした。
 その瞬間、俺は机の下で小さくガッツポーズをした。

 一日中あれこれ雑用を命じられたさんと俺は、その都度協力して仕事を済ませ、放課後には一緒に教室に残って日誌を書く事になった。
「日誌は私が提出しておくから、宮君は部活行ってええよ」
 そう言われて、ハイそうですかと甘える訳がない。
 もちろんバレーはやりたいけれど、さんと二人でいられる時間も惜しい。
「それはあかん。全部さんに書かせたら、先生に怒られてまう」
 もっともらしい理由を述べると、さんはふわりと微笑んだ。
「ほんなら一時間目は私、二時間目は宮君で、かわりばんこに書いてこか」
「うん。……あ、“本日の感想”は頼んでもええ?俺、そういうん書くの苦手やねん」
「ええよ、全部一人で書くつもりやったし」
「ありがとう」

 サラサラと日誌の空白を埋めていく、その文字はとても綺麗だ。
 それから、伏せられた長い睫毛も、さほど高くはないけれど細く通った鼻筋も、引き結ばれた淡い色の唇も、全部綺麗だと思う。
 こんな間近でさんと向き合うのは、もちろん初めてだ。
 フワフワと漂って来る、フルーツのような花のような、女子特有のいい匂いに心地良く鼻を擽られて、ともすればだらしなく緩みそうになる顔を、俺は気合で引き締めた。

「はい、宮君の番」
 机の上でくるりと回された日誌に、俺も文字を記していく。
 お世辞にも上手とは言えない字を、それでも出来るだけ丁寧に。
さんは字が上手いな」
「そう?ありがとう」
「頭もええよな」
「いやいや、頭は良うないで。ただ、昔に比べたら勉強は上手になったかもしらん」
「え?勉強出来るんやもん、頭ええやん」
「それはちゃうよ。勉強が上手な事と、頭の良し悪しは別の話や」

 思ってもみなかった事を言われて、俺の手は一瞬止まってしまった。
「別なん?」
「せやで。スポーツもそうちゃうの?必死に練習すれば、誰でもある程度は上達するやろ。けど、そこから先は努力だけじゃどうにもならへん部分が出て来るやん」
 その時浮かんだのは、バレーから去って行った、かつてのチームメイトたちの後ろ姿だった。
「そうか。……勉強も一緒なんやな」
 書き終えた日誌を、またさんの方へと向け直す。

「そうそう。宮君かて、私ぐらいの成績ならすぐ取れるようになるよ」
「嘘やん」
「ほんまやって。宮君が本気になりさえすれば、の話やけど」
 微笑を浮かべたさんは、シャーペンの尻で俺の方を指した。
「……ならへんな」
「せやろな。宮君はバレー一筋やもんね」
 そう言ってまた文字を書き始めた直後、窓から吹き込んだ風で捲れそうになった日誌の端を、ほっそりした指先が押さえた。

「綺麗やなぁ」
 自然とこぼれ出た言葉に反応して、さんが不思議そうな顔を上げた。
 指、と単語と視線で示した先に、その目が落ちる。
「そう?ありがとう」
 字を褒めた時と全く同じようにさんは返した。
 照れたそぶりなど少しも見せずに礼を言う、こういうところが他の女子とは全然違う。
 もうちょっと深く立ち入ったらどうなるのだろうか。
 そんな好奇心を抑えかねて、俺は再び口を開いた。

「顔も綺麗や思うで。美人さんや」
 ぴた、とさんの手が止まった。
 少し間を置いて、黒い瞳が掬い上げるようにこちらを見た。
 息だけの笑いがふっと微かに聞こえたかと思うと、さんは駄々っ子を叱る母親のような口調で俺に言った。
「あかんよ、宮君」
「何が?」
「宮君はモテるんやから、そんな気軽に女の子を褒めたりしたらあかん。勘違いする子、続出してまうで?」
 まだ、もう一歩、あと一押し。
さんになら、勘違いされてもええよ」



 ぽとんとシャーペンを置いて、さんはとうとう声を上げて笑った。
「ああもう、ほんまチャラいなぁ」
「えー、マジで言うとるのに」
「……あんな、宮君。私な、今は将来の事考えて真面目に頑張ってるけど、中学の頃めっちゃ遊んどってん。やから、宮君が思てるようなイイコちゃんやないんよ」
 先程とは一転して、さんはイタズラが見付かった子供みたいな顔をしている。
 俺はと言えば、パズルの最後のピースが嵌まったような心持ちになっていた。
 さんが纏っている一種独特の、不思議な色の正体をようやく掴めた気がして。

「イイコちゃんとは思とらん。ちょお変わった子やなて思とっただけやで」
「ほんならええけど」
「ええの?」
「え?」
「勘違いしてくれるんかな、て」
「あははは。そこに繋げるんか。意外と強引やなぁ」

 さんは笑いを引っ込めると、目を緩く細めて言った。
「宮君みたいな男、嫌いやないよ」
「微妙な言い方やな。好きちゃうん?」
「うん、好き」
 これだけでは足りない。逃げ道なんて潰してやる。
「好きにも色々あるやん。どういう好き?」
「……こういう好き」
 少し冷たい手が頬に触れた。
 俺の唇に軽く重ねられた柔らかな唇は、すぐに離れて行った。
「あー良かった。俺もおんなし好きや」

 お返しのキスをすると、さんは笑った。
 手も早いねんなぁ、お互い様やけど、と言って笑った。

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