飴玉サイコロジスト

 澤村ー、と耳慣れた声がした。道宮さんだ。
 おう、と片手を挙げた澤村が「どうした道宮」と言いながら彼女の元へと向かう。
 広い背中を視界の端だけで見送って、胸に湧き上がる苦みを“道宮さんやっぱ可愛いな”と事実を認める事で薄めようと努める。

 事実は、いつだって残酷なくらい揺るぎない。
 道宮さんは可愛い。
 澤村はカッコいい。
 カッコ良くて優しくてまっすぐで頼もしい。
 ただし、超鈍感。
 そして私は、そんな澤村が好きなんだって事も揺るぎない。
 道宮さんと同じく、中学の時からずっと。

 道宮さんが澤村の事を好きなのは一目瞭然だ。気付いていないのは、当の本人の澤村くらいだと思う。
 背景にお花を背負っていそうな道宮さんの笑顔は、好きな人にだけ向けられる種類のものなのに。

 ――ねぇ澤村、そんな可愛い笑顔を見ても、何も感じないの?

 見て見ぬフリをしつつの雑談に付き合ってくれている友達が、「ホンット鈍いよね」と私にだけ聞こえる声で言った。
 デスヨネ、と返して苦笑い。
 道宮さん以外にも、澤村の事を好きな女子はいる。
 私が把握しているだけでも道宮さんを含めて三人。告白した子はゼロ。
 深い水面下でのごく軽い、牽制未満の牽制の応酬を何度しただろうか。
 道宮さんだけは別として。
 天真爛漫な彼女は、女のいやらしさなんてまるで無縁に見える。
 可愛くて、羨ましいひと。
 その道宮さんにすら靡く気配がない澤村に、誰が告白なんて出来るだろう。

 ――早く道宮さんと付き合っちゃえ。
 ――嘘。そんなの嫌。

 苦しい。
 何も道宮さん相手じゃなくたって、澤村が他の女子と話しているのを見るだけで、いつも注意深く沈めている“好き”がせりあがって来て、息が詰まりそうになる。
 中学の時から数えて四年間抱えている想いは、もはや爆発寸前だ。

 ――いっそ告って玉砕しちゃおうか。
 ――嘘。そんなの怖い。

 今の、友達としては親しい関係が壊れてしまうのが怖い。
 伝えなければ何も始まらないなんて、そんな事くらいわかっている。
 スタート地点にすら立てていない事もわかっている。
 けれど一歩を踏み出す勇気がどうしても出ないまま、気付いたら四年が過ぎていた。
 高校生活最後の一年も、今まで通り怖気づいた情けない状況のまま終わってしまうんだろう。
 そしていつの日か、昔は澤村に夢中だったなぁ、と懐かしく思い出したりするんだろう。
 その頃には私は誰かと結婚でもして、子供もいたりして、毎日髪を振り乱して家事と育児に追われて、お洒落をする時間もカフェでお茶する時間もなくて、ああー高校時代に戻りたいとか思ってたりして。
 いやいや、それならまだマシかもしれない。
 結婚なんて夢のまた夢、ひたすら職場と家の往復で毎日が過ぎていって、どんどん歳だけ取って気付いたら立派なオバサンに……

「……い、おい、。……?」
「……」
!」
「……っ!?えっ!?うわっ、ささささ澤村!?なんっ……」

 夢も希望もない未来予想図を思い描いていた私の眼前で、澤村が豪快な笑い声を上げた。
 何もそんなに笑わなくたって。そりゃあ目いっぱいテンパって噛みまくった上に、椅子から転げ落ちそうになったけれども!

 ――ってか、私いつから一人に……

 キョロキョロと教室内を見回すと、澤村が今いる席に座っていたはずの友達は、菅原と楽しそうにお喋りをしているではないか。

 ――もうっ。席離れるなら一声かけてくれたっていいのに。

 自然と尖ってしまった私の口元を見て、澤村が今まで見た事のない表情を浮かべた。

「もしかして……はスガに気があるのか?」
「へ?……あ?は……ハァァァァー!?ドコをどう見たらそういう事になんの!?」
「なんだ、違うのか。もしそうなら売り込んでやろうと思ったのに」
「ぜんっぜん違う!菅原は友達です!」

 いきなり何を言い出すのやら。
 本当に、本当に、本当に澤村の鈍感さが憎い。
 けれど、だからこそ四年もこっそりと想っていられた。
 結局、私は鈍さも何もかも全てひっくるめて、澤村大地という男が好きで好きでたまらないのだ。
 はぁ、と思わずため息を漏らしたタイミングで、ぼそりと小さな声がした。
 良かった、と。
 澤村がそう言った。確かに言った。

「……え?」

 ――今、なんて?良かった?何ソレどういう意味?

「あっ!?いやっ、その、今のは、その……なんだ、ええと……」

 澤村の顔が、耳が、見る間に真っ赤に染まっていく。
 これは夢だ。きっと夢だ。だって、これじゃまるで。
 まるで、澤村が私を。

「澤村」
「は、ハイ」
「今、良かったって言ったよね?」
「お……おう」
「そっか、やっぱりこれ夢なんだね?」
「いや、何言ってんだ。大丈夫か?」
「え?……じゃあ、現実なの?」
「おう」
「え?……じゃあ、あの、良かったって……それって澤村、私のこ……」
「ちょちょちょ!……ちょっと、こっち!こっち来なさい!」

 ユデダコみたいな顔をした澤村に手を引かれて小走りに廊下に出た私には、友達と菅原の会話なんて聞こえるはずもなかった。



「ホンット鈍いんだから。揃いも揃ってまったく」
「なー?大地も相当だけど、も負けてねーな」
「でもさ、なんかイキナリ進展したね。澤村どしたんだろ急に」
「それな、大地の奴多分カン違いして……」


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