マーメイド

 好奇心で輝く四つの目を見ながら、女って本当に恋バナが好きな生き物だなと他人事のように思った。
 三年になり、新しい人間関係にも馴染んで来た時期、昼休みの話題になったのは「このクラスでは誰がイイと思う?」ってやつ。
 去年の今頃も、同じような事を同じような目で訊ねられた。
 その時は特に何も意識する事なく、見た感じが好みの男子を挙げた。
 口先だけは、去年と同じ事を繰り返しておくのが無難だろう。

「んー……●●かな」
「おお~、はああいう系か」
「もしかして大栗旬好き?●●ちょい似てね?」
「えー、大栗旬は言い過ぎっしょ」
「雰囲気だけ。うす~~~~~い大栗旬風味」
「ああ、それならわかるかも」

 小さな秘密を共有した同士で少しだけ上がった親密度を分け合うと共に、大きな安心を含んだ笑い声が上がる。
 ああ良かった、私とはタイプが被ってない、と。

 ――まぁ実際、タイプは被ってないんだけどさ。

 心の中でそう呟いて、目の端に映る特徴的な髪色に密かな喜びをかみしめる。
 去年に続いて同じクラスになれて、本当に良かった。神様ありがとう。
 私の好きな人は、●●とは似ても似つかない爽やか系。
 パッと見は大人しそうなのに、実はノリが良くて明るくて、そして。
 そして、私のような女には絶対に釣り合わない人。
 だから誰にも本当の事は言わない。情報なんてどこから漏れるかわかったもんじゃない。人の口に戸は立てられないのだ。
 私なんかと妙な噂でも流れたら、菅原に迷惑をかけてしまう。それだけはなんとしても避けたい。
 菅原にだって好きな子ぐらいいるだろう。
 きっと、菅原によく似合う控え目で優しい子。
 クラスで必ず“派手”と呼ばれるグループに分けられる私みたいな女とは、正反対の子。



 私が菅原を好きになったきっかけは、自分でもびっくりするくらい単純だ。
 席替えでたまたま隣になって、『よろしくな!』と言われた時の笑顔にやられてしまった。
 胸がきゅうんと窄まって、次の瞬間には“好き”が猛烈にこみ上げて爆発しそうになって、自分で自分の感情に驚き戸惑いながら、『こちらこそよろしく』と、どうにか返した。

 ――ヤバイヤバイヤバイ。今、絶対ヘンな顔になってる!
 ――てかなんで菅原!?全然タイプじゃないはずなのに!

 内心の動揺を気取られまいと必死に取り繕った笑顔は、さぞかし滑稽だったに違いない。
 けれど菅原は気にした様子もなく再びニコリと笑い、そのまま授業の準備に取り掛かった。
 ホッとしつつも少し寂しかったのは、私がどんな顔をしていようと菅原にとってはどうでもいい事なんだな、と感じたからだ。
 馬鹿か、と自分で即座にツッコんでしまった。
 菅原と私はそれまでほとんど接点がなくて、会話すらまともにした事がなかったのだから。
 恋はするものではなく落ちるもの。
 どこかで聞いたような言葉が、“好き”と一緒くたになって頭の中でぐるぐる回った。

 それからはもう、一直線で落ちる一方。
 何か一つ菅原の新たな面を知るたびに、矢のようなスピードで“好き”が深まっていって、止めようにも止められなくて。
 中でも決定的だったのは、ある日の昼休み終了間際の会話だった。

ってお洒落だよな』
『え?……あ、そ、えと……やっぱ派手、かな?』
『いや、いっつも髪とか爪とかスゲー綺麗にしてるだろ。ピッカピカのツヤッツヤに!』
『それは単なる身だしなみだよ』
『ソレだよ!身だしなみ!俺は髪型とか化粧とかじゃなくて、そこをちゃんと頑張ってる奴がお洒落だなーって思う』
『あっ、私もそう!お母さんに小さい頃から同じ事言われてて』
『へぇ、いい母ちゃんだな』
『うん。仲いいんだ、うち』
『そっかそっか。……あ、それにさ』
『ん?』
は別に派手じゃねえと思うぞ。ってかお前、中身はむしろ地味だべ』

 ニカッと笑って言われたその言葉は、家族以外からは誰にも言われた事がない、私の本質を端的に表しているものだった。
 陰で“遊んでる”だのなんだの言われているのは知っているけれど、実際の私はただお洒落をするのが好きなだけの、服飾オタクでしかない。
 心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた私は、『なんで』と反射的に菅原に訊ねていた。
 なんでも屁も、と菅原はまた笑ってこう言った。
 見てりゃわかるって、と。



 あの時はまいった。
 舞い上がっちゃだめ、勘違いしちゃだめ、と五時限目の授業中ずっと呪文のように心で繰り返して、隣で菅原がノートを取る音にさえドキドキして。
 菅原は誰に対しても優しいけれど、そこいらのチャラ男とは違う。勉強も部活も両立して精いっぱい頑張っている、真面目な奴だ。
 だから『見てりゃわかる』という言葉は、それ以上でも以下でもない。
 きっと、ない。
 どんなにあって欲しくても。
 けれど、願ってしまう。少しは特別扱いしてくれてないかな、と。
 決して誰にも、もちろん本人にも気付かれてはならないと思うその一方で、菅原にだけは気付いて欲しいと願っている矛盾が苦しい。

 いつまでも浮かれ気分ではいられない、いよいよの受験生だと言うのに。
 この一年を悔いのないものにするためにも、気を引き締めて勉強だけは今まで以上に頑張らなくては。
 そう思いながらジュースを飲み終えたところで予鈴が鳴った。
 次っては教室移動だっけー、とダルそうな声を上げた友人二人に手を振って、私は自分の席へと戻り、必要な物を抱えて廊下に出た。

 よ、と軽く肩を叩かれて振り向くと、同じく教室移動の菅原があの笑顔でそこに居た。
 ドクンと鳴った心臓を無視して微笑を返して、なんとなく並んで歩き出す。
 移動先の教室になんて、このまま永遠に着かなければいいのに。
 そんなバカバカしい願いに重なるようにして、菅原の声がした。

「あのさ」
「うん?」
「さっきちょっと、聞こえたんだけど……って●●がタイプってマジ?」

 ズルッと教科書とノートを落としそうになって、慌てて抱え直した。
 どうして。
 菅原がこんな事を聞いてくる理由は何?
 いやいや、それよりもまず!

「ココだけの話なんですが」
「お?おう?」
「アレは真っ赤な嘘でして」

 菅原に本当の事を知られるのは困る。
 でも、誤解をされるのはもっと困る。だから、最低限の事実だけを告げた。

「へー……なんだ、そっか」
「うん」

 気になる。菅原がどうしてこんな事を確認したのかすごく気になる。
 だけど、確かめるのは怖い。自意識過剰もいいところの、都合のいい勘違いをしているだけだと思い知るのが怖い。
 怖いくせに、もしかして、もしかしたら、そう思っている。
 あの時と同じだ。心臓が口から出ちゃいそう。
 いくらそう感じても、心臓は口から出たりはしない。
 なのに、言葉が。

「……なんでそんな事聞くの?」

 ――ああ、言っちゃった。

 怖い。怖くて菅原の顔が見られない。
 でも。

「俺の顔、見たらわかると思うぞ」

 時間が一瞬、止まったような気がした。
 実際に止まったのは私と菅原の足でしかなく、他のクラスメートたちは賑やかにお喋りをしながら歩き続けている。
 勇気を振り絞って隣を見上げると、菅原はいつになく強張った表情を浮かべていた。

 ――え?怒ってる?いや、え?わかんない!どうしよう!?

「ご、ごめん、なんか怒ってる?」
「あー、惜しい!」
「惜しい!?」
「ここら辺に書いてねぇ?」

 自分の頬の辺りを指して、菅原が続けた言葉は。

「書いてるべ?……ヤキモチ焼きました、って」


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