19

 大晦日、部活が午前中で終わった俺と治は、両親の命令で午後から大掃除に精を出していた。
 家じゅうの照明器具を拭けだの、電球の交換をしろだの、天井の埃取りをやれだの、両親は実に無駄なく俺たちの上背を使いまくる。
 そして使うだけ使ったら今度は「部屋の掃除しとき」と1階から追い払われ、父親が大掃除の仕上げ、母親は台所にこもって今夜の飯と正月の準備を始めた。

 手抜きをすれば叱られるので、俺も治もそれなりに真面目に各々のスペースを整頓したり、不要な物を捨てたり、黙々と頑張った。
 掃除機も順番にかけて、最後は雑巾片手にあちこちを拭いて。
 ……いるうちに、二人とも飽きて来た。

「腹減ってる顔しとるなぁ、
 治にそう言われたのは、ちょお休憩しようや、と床に腰を下ろして、ポテトチップを頬張りつつお茶を飲み始めて間もなくの事だった。
「へ?いや、昼飯食うたし、今ポテチ食うとるし、そうでもないで」
 治は聞いているのかいないのか、俺の返事には反応せず、摘まみ上げたポテトチップを眺めながら言った。
「一度とびきり美味いモン食うてもうたら、毎日でも食いたなるんは人情よな」
 何言うてんねんコイツ、と思ったが、一応相槌を打った。
「そらまあ、せやな」

「けど、俺らの体はたまにありつけるご馳走だけで出来とる訳やない。日頃食うとる、普通の飯が大事なんや」
「せやな」
「ご馳走食いたい食いたいてワガママ言うて、普段の飯を疎かにしとったら、体壊してまう」
「せやな」
 パリパリとポテトチップを噛み砕きながら、俺は治の話を半分聞き流していた。
 が。

「惚れた女抱くんは、世界一のご馳走食うとるようなモンやろ。一度食うてもうたら、毎日食いたなる。……けど、辛抱して普通の飯を大事にせんと、後悔する羽目になるで」
 治はそれだけ言うと、何事もなかったような顔でポテトチップを次々と口に運び始めた。
 完全に固まった俺は、返すべき言葉を失ったまま、ぼんやりと治を見詰めていた。



 外気で冷えて縮こまっていた体が、暖房の温気に触れて緩んでいく。
 さっさと脱いだモッズコートをハンガーに掛けると、もそれに倣った。
 年越し蕎麦を平らげた後、初詣行って来る、と家を出たのが0時半になる少し前。
 を迎えに行って、今日ばかりは終夜運転のバスに揺られて神社まで行き、人混みに揉まれながら参詣を済ませた。
 そして、“ご休憩2時間5千円”のホテルに入ったのがつい今しがた。

 ――腹減ってる顔しとるなぁ――

 その通りだ。
 知ってしまった、“世界一のご馳走”に俺は飢えていた。
 初めて味わった、その次の日から。
 この一週間、気が触れるんじゃないかと思うくらいが恋しかった。

 会おうと思えばいくらでも会えたが、ただ顔を見るだけでは満足出来ないとわかっていたから、気軽に誘う事は出来なかった。
 なのに、会いたくてたまらない。
 堂々巡りの矛盾を抱えて途方に暮れた俺は、完全に自分で自分を持て余していた。

 虎視眈々と機会を窺い、ようやく得られた貴重な今このひと時。
 力いっぱい抱きしめて、忙しないキスをしながらばかでかいベッドに倒れ込んで、邪魔くさい服を脱いで脱がせて。
 柔らかい肌に直に触れたら、ようやくまともに息が吐けたような気がしたのと同時に、もまた飢えていたのだとわかった。
 会いたかった、と切なげな声で囁かれて、それでなくてもほとんど外れていた理性のネジが、完全に吹っ飛んだ。

 互いの全てを与え合うように、そして奪い合うように、貪欲に求めて求められて、愛してると全身全霊で、伝えると言うより叫んでいる、そんなセックスだった。
 きっと、またすぐに飢える。
 毎日でも欲しい。

 でも、17歳のガキでしかない俺たちにとって、それは不可能だ。
 時間がない、場所がない、金もない。
 セフレみたいにちょっとした隙を見てやるだけやって、1時間もすればさっさと服を着て帰るだなんて形は望んでいないし、それだけで終われるはずもない。

 ――体壊してまう――

 その通りだ。
 こんな激情に流されっぱなしになっていたら、いつか必ずとの関係が悪い方向に変わってしまう。
 それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。

 ――普通の飯を大事にせんと――

 その通りだ。
 顔を見る、何気ない会話をする、連絡を取る、声を聞く。
 ちょっとしたデートをする。
 手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする。
 時に物足りなくてじれったい、けれどそれもまた、紛う事のない確かな繋がりだ。

 半年の間、俺とはそんな緩やかな繋がりを保ち続けて、少しずつ、そして確実にお互いを知り、距離を縮め、二人だけの絆を作り上げて来た。
 それこそが俺たちの“体”だ。
 多分まだまだ脆弱で、油断したら跡形もなく崩れてしまう、だからこそ守りたい、大切にしたい、この世でただ一つの。



「あんな、がおもろい事言うてん」
 治に言われた事を伝えると、は感心したような口調で「すごいなぁ」と言った。
「治君、上手い事言うねぇ。ほんまにそうやわ。美味しい事ばっかりに気ぃ取られて、毎日普通にしとった事忘れてもうたら、絶対すれ違うようになってまう」

「せやな。……あいつ、多分やけど、それで元カノとアカンくなってしもたんちゃうかなて。経験者は語る、っちゅうヤツや」
「そっか。治君もしんどい思いしたんやなぁ」
「多分やで?実際のところはわからん。……けどまぁ、せっかく治センセイが珍しくエエ事言うたから、ここはひとつ真面目に聞いたろかな思て」
「うん、せやねぇ」

「俺、お前とアカンくなるんは絶対嫌や。……そら毎日でも抱けるモンなら抱きたいけど、ずっと一緒におったら、それはいずれ出来るようになるやんか」
「うん」
「そうなれるまでは、ご馳走はたまに食える時に思い切り食うて、毎日の普通の飯をちゃんと大事にしてこ!」
「うん!……ありがとう。治君にも、ありがとうやね」
の事はどうでもええねん。って言いたいトコやけど、今回は感謝せなあかんな」

「ふふ。兄弟って、鬱陶しい時もあるけど、ありがたい時もあるんよねぇ」
は9割鬱陶しいけどな。……ほな、まだ時間あるし、おかわりさしてください」
「はい、私もいただきます」

 ふは、と笑い合って、二回目の始まりの合図になるキスをした。
 次にご馳走を食べられるのはいつになるかわからないけれど、俺とならきっと大丈夫だ。これまで積み重ねて来た時間が、自信に繋がっている。

 そしていつか、ご馳走が毎日のメニューの一つになる日が来ても、変わらずに全ての料理を大事に食べて、食べさせて、ちょっとやそっとでは壊れない頑丈な体を作り上げていきたい。
 俺はと何年先までも、もしかしたら一生でも、一緒にいたいから。
 先の事なんてわからない。
 それでも、この気持ちが消えない限りはずっとずっと。

***

「侑さん、何見てんですか?……あっ、ごめんなさい!」
「いやいや、謝らんでもええて。見られて困るようなやり取りしてへんし」
「彼女さん、二人のLINE見られたら怒りません?」
はそんな面倒な女やないよ。……翔陽くんと一緒やで~、っと。……ほれ見い、楽しそうやね、よろしく伝えてね、やって」
「アザース!いつも思うけど、ホント仲良いですね」
「フッフ、ええやろ?むっちゃラブラブやねん」
「わーウラヤマシー」
「棒読みやん!もっと心を込めて羨ましがって!」

「ハハハ。いや、マジで羨ましいです。最初の春高の時にはもう付き合ってたんですよね?」
「せやで。高2の6月からや」
「すげえ。6年かぁ」
「せやなぁ。もうそんなになるんやなぁ」
「まだ結婚しないんですか?」
「来年あたりしよかーて話はしとる」

「いいっスね!……あの、長続きするコツとかってあるんですか?」
「いや、ちょお待てや。なんで途中からインタビューみたいになっとるん!?」
「後学のために聞いておこうかなって。長くいい関係続けるコツ、教えてください!」
「コツかぁ。コツ……うん、一番はな」
「一番は?」



「ご馳走も、普段の飯もしっかり食うて、健康な体を維持する事や」

 キョトンとしている翔陽くんの顔を見て、俺は笑った。

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