ユース合宿は面白かったし、有意義でもあった。
全国から集められたトップクラスの実力者と言えども、その中での優劣は当然あって、こいつは確実に代表入りするな、と唸らされる奴もいれば、逆の奴もいた。
特に興味を惹かれたのは、宮城の一年生セッター。
とんでもない凄腕の、けれど妙におりこうさんなセットアップをする奴で、それをそのまま口にしたら気にしている風だった。知ったこっちゃないが。
5日間はあっという間に終わり、短い期間ながら寝起きを共にする仲間だった俺たちは、またライバルへと戻った。
早ければ来月の春高で、ネットを挟んで向き合う事になる奴もいるだろう。
だがその前に、関門が一つ。
東京から戻ってすぐ、期末テストが始まった。
合宿に参加していた俺は、今回ばかりはの助けを借りる訳にもいかず、結果として冬休みに二日間の補習を受ける羽目になってしまった。
「なんで俺が補習でお前が赤点ナシやねんっ!おかしいやろ!どんな手使うたんや!」
俺の土産のプリンを頬張っていた治は、口に入れていた分を飲み下してから答えた。
「がノート貸してくれた」
「……は?聞いてへんぞそんな話」
思わず声が低くなった俺に対して、治は全く動じた様子もなくケロリとした顔をしている。
「ノート借りただけやし、一々言わんやろ、そんなん」
「いや言えや!俺の彼女やぞ!」
「うわ、引くわ、心狭っ。ケツの穴の小さい男は嫌われるで?」
「うっさいわ!……ほんまにノート借りただけやろな?」
ごちそうさん、と手を合わせた治は、空になったプリンの容器を片付けた。
「心配せんでも、学校で貸してもろて学校で写して、学校で返しましたー。わからんところも学校で聞いて、学校で教えてもらいましたー」
「待てやオイ。ノート借りただけやないやんけ」
「休み時間にちょこちょこっと教えてもろただけや。それもあかんの?」
「アカンに決まっとるわ!俺の留守中にコソコソ何さらしとるんじゃ!」
「せやからコソコソなんかしとらんて。学校で、て言うとるやろがい。落ち着けや」
気に入らない。俺の留守中に、俺の彼女と、俺に内緒で。
「~~~~腹立つ!お前もう、俺の土産食うな!」
「さっきの、最後の一個やねんけど」
「食いすぎやクソブタ!!」
こっちは心底頭に来ているというのに、治の奴。
あろう事か、ぶふっと噴き出した。
「何笑とんねん!」
「フッフ。いや、ええんちゃう?」
「ハァ!?何がええんや!」
「よっぽどに惚れとるんやなぁ思て。お前が女の事でそないムキになるん、初めて見たで」
「べっ、別にムキになんてなってへん!」
「思っくそなっとるやんけ。……まぁ、俺も覚えあるからわかるわ。俺にとっては小さい事でも、お前にしたらちゃうよな。配慮が足らんかった。すまん」
謝られてしまうと、それ以上文句の言いようがなくなる。
俺が言葉に詰まっているうちに、治は静かに続けた。
「はただ単に、いっつもお前と三人で勉強しとったから、俺が一人で困ってるんちゃうかなって気ぃ回してくれただけや。それに甘えた俺が悪かった。すまん」
「……そんなん、わかっとるし。あいつ、よう気ぃ付くのんも知っとるし」
「せやな。ええ奴やな」
「……手ぇ出したら埋めるからな」
「安心せぇ。お前の女にだけは、死んでもそんなんせぇへん」
緩く笑う、俺と同じ顔。
わかっている。治は何があっても、俺を裏切ったりしない。
それでも不安になるのは、コイツには勝てないと思う部分がたくさんあるせいなんだろうか。
ベッドに入ってから、にメッセージを送った。
“治にノート貸してやったんやて?あいつ一人で赤点まぬがれよって腹立つ”
すぐに既読が付いて、返信が来た。
“そうそう、治君一人で大変やろな思て。勉強頑張っとったよ”
あっさりしたその内容に、やはり気にする事ではないんだろうな、と思いながらも少しだけ不満を伝えてみた。
“でもちょびっとショックやったで。内緒にされてたみたいで”
“えっほんまに!?ごめん!ごめんね!”
妙なキャラクターが土下座しているのと、涙目になっているスタンプが続けて送られて来て、ふは、と呼吸だけの笑いが漏れてしまった。
“ええよ。俺は心が広い男やから許したる!また明日な。おやすみ”
“私が好きなんは侑だけやからね?また明日。おやすみなさい”
こんな一言で安心してニヤついて、我ながらなんて単純なんだと呆れる。
治が言った通り、本当に。
本当にどうしようもないくらい、俺はに惚れている。
似たような事というのは、続くもので。
翌日の昼休み、いつも通りと二人で食後の雑談を楽しんでいると、「ー!客やぞー!」とクラスメートの一人が叫ぶ声がした。
不思議そうに振り向いたと共にそっちを見てみれば、廊下からこちらを窺っている、ひょろっとしたヤワそうな男が一人。
――なんや、アイツ。俺の前でを呼び出すとはええ度胸やないかい。
遠慮のない敵意をそいつに向けている俺に、「なんやろ?ちょお行って来るね」と言い置いて、が立ち上がった。
短い会話の様子を見ているだけで、その内容は簡単に想像がついた。
戻って来たは案の定、「放課後、話あるて言われた」と困惑気味の表情を浮かべていた。
「話も屁も、告白やろ。バレバレやん」
「それっぽかったけど、どうやろなぁ」
「知ってる奴なん?」
「同中の人。せやから、別の可能性もあるかなぁて」
「別のて?」
「私やのうて私の友達が好きやけど、いきなり本人には言えんから相談とか」
「あー、なるほど。絶対にない、とは言えんな」
「ね。まぁとにかく、話だけは聞いてみるわ」
「……行くなや」
「え」
「って言いたいとこやけど、しゃーないな。告られたらちゃんと断ってな?」
「当たり前やん。私には侑がおるんやから」
いつかはこういう事もあるかも、と思ってはいた。
俺と付き合い始めてからは告られる事もなくなったみたいだけれど、が男の目を引く女である事に変わりはないし、ひっそりと想いを寄せている奴は少なくないだろう。
もその事は察しているはずだ。自慢じゃないが、俺自身そういう対象にされる事が多いからよくわかる。
恋愛的な意味の好意や性的な意味での好奇心、そこから発される一種独特の波長に気付かないほど、俺もも鈍感じゃない。
もちろん、そんなものを他の奴から向けられたところで拒絶する事はわかっている。わかっていても、あからさまにやられたら面白くない。
自分の家に他人が土足で上がり込んで来たら、誰だって不愉快だろうし、追い出そうとするだろう。
は俺のものなんかじゃなく意思を持った一人の人間だし、それは俺も同じだ。
ただ俺たちには、付き合っていく中で作り上げて来た共有エリアのようなものがあって、そこには誰も入って来て欲しくない、そう思っているだけだ。
でも、俺が線引きしているエリアの広さと、のそれが同じかどうかはわからない。
小さな事でも一々気になってしまうのはそのせいだ。
俺なら絶対に嫌だと思うラインの内側に、は躊躇なく他人を入れてしまうかもしれない、その事が不安なのだ。
『私も、実はめちゃくちゃ嫉妬深かったらどうしよ』
付き合い始めの頃にが言った言葉。それに対して俺は、その時はその時に考えればいいと答えた。
だから俺は今、考えている。
嫉妬深いのか、“ケツの穴の小さい男”なのか、どちらにしても俺の縄張り意識がかなり強固なのは確かだ。
つくづく、嫉妬という感情は厄介だ。
その程度で?と他人事なら呆れるに違いないような、ほんの些細な切欠で理屈も理性も全部吹っ飛ばして、一瞬にしてそれだけで心も頭も支配されてしまう。
気持ち悪くて、むかむかして、イラついて、体の中身が全部ドロドロした汚い物で埋めつくされていくような、どうにもたまらない不快感と焦燥感。
自分の中にこんな醜く激しい感情が潜んでいたのかと、目を背けたくなる。
はどうなんだろう。
今までに嫉妬めいた感情をぶつけられた事はないけれど、実際のところはどう思っているのか。
一度きちんとその辺りの事を話しておいた方がいい気がする。
共有しているエリアの問題である以上、俺一人で考えていても仕方がない。二人で話し合って、二人で解決しないと。
昨夜は治が当事者だったから何事もなく終わったが、他の男が相手だったらどうなっていたかわからない。
治に言ったのと同じ事をそのままに向けていたら、初の喧嘩に発展した可能性もあり得る。
は滅多に怒らないだけに、たまに怒りの切っ先が見えると、それだけで充分な威圧感がある。本気で怒らせたら、なんて考えるだけで怖い。
嫉妬に駆られている時は冷静さなんて皆無だから、またそんな状態に陥る前にちゃんと話し合って、お互いの意識の接点を把握しておきたい。
つまらない喧嘩や一時の感情で別れるだの振られるだの、そんな事態になったら一生後悔してもしきれないのは目に見えている。
しなくてもいいすれ違いや行き違いをせずに済むように、予防策は実行しておくべきだろう。
もしかしたらだって、俺に言えずに抱えている不満や不安があるかもしれない。
今夜にでもと会ってちゃんと話そうと決めたところで、終業のチャイムが鳴った。
――アカン、一時間まるまる聞いとらんかった。