02

 ティッシュに包んだ使用済みのゴムをゴミ箱に捨てて、勢いよく立ち上がってぐっと伸びをすると、ボーッとしていた頭がいくらかスッキリした。
 射精の後は眠くなる。横になっていると寝てしまうので、さっさと起きるに限る。
 背中に薄く浮いた汗が引いてから下着を穿き、脱ぎ捨ててあったワイシャツを拾い上げて袖を通すと、ベッドに転がっていた女も上体を起こした。

 この人は中学の二つ上の先輩で、童貞を卒業させてくれた相手。
 サバサバした性格、軽いノリ、エッチ大好き、とセフレとしては申し分ない条件を備えている。体の相性も悪くないし、家族の不在が多いのも都合が良い。

「ごめん、ブラ取って」
「ん」
 手渡したブラジャーに腕を通すのを横目で見て、後ろのホックもついでに留めてやると、「ありがとうさーん」とふざけた口調で礼を言われた。
「どういたしまして~」
 同じようにふざけて返事をしながら立ち上がり、ワイシャツのボタンを嵌め、ズボンを穿き、身支度を整えていく。

「大きぃなったねぇ、侑」
「バァちゃんか!何しみじみ言うてんねん」
「だって、昔は私と同じくらいの背ぇやったんに」
「まだ伸びてんで」
「あちこち成長してくれて嬉しいわぁ」
 ぱふぱふと股間を叩かれて、「あほ」と笑ったら、先輩もケラケラと笑った。

 テーブルの上のペットボトルのお茶はとっくに生ぬるくなっていたけれど、情交の後の乾いた咽喉には染みるように美味い。
 置かれていたチョコレート菓子を遠慮なく食べまくっているうちに、部屋着を着て、化粧を直し、髪を整えた先輩は、スマホを覗いて誰かにLINEの返信を送り始めた。

「彼氏?」
「そ。明日デートやねん」
「ええやん、楽しんできてな」
「ありがとう。……侑はどうなん?相変わらず彼女は作らんの?」
「ちょお気になる女はおる」
「え、ほんま?侑が自分からそんなん言うん、初めてちゃう?」
「そやったっけ?」
「私が知ってる限りでは聞いた事ないよ」
「そうか」
「好きになれるとええな、その子の事」

 本気で好きに、というのを言外に含ませた先輩の言葉が、心のどこか奥の方にサクリと突き刺さるのを感じた。痛みはなく、ただ何かの目印のように。
「俺がそいつに惚れてもうたら、先輩とはもう会われへんのやで?ちょっとは寂しいとかないん?」
 後ろから抱き付きながら、わざと拗ねた口調でそう言うと、先輩はふふっと笑って俺の頬をスルリと撫でた。
「そりゃ寂しいよ。長い付き合いやし、愛はないけど情はあるもん」
 愛はないけど、情はある。
 言い得て妙だなと感心した俺は、「せやな」とだけ返した。



 あの席替えの日から、俺はとよく話すようになった。なんとなく気になって、目で追うようにもなった。
 見たり話したりしている感じでは、男を馬鹿にするとか調子に乗っているとか、そんな印象は微塵も受けなかった。

 そのあたりは付き合ってみないとわからない部分なのかもしれないけれど、俺の中の情報が増えるのに比例して、「やっぱ可愛いやん」と思う回数も増えていった。

 今時珍しく化粧を全くしていない理由を聞いたら、肌が弱くて使える化粧品がほとんどないのだ、とちょっとショボンとした表情で言ったのも。
 細い体つきには似合わないほど、パクパクと美味そうに物を食べる様子も。
 日直になった時、真面目か!とツッコみたくなるくらいせっせと雑用をこなしていた事も。
 授業中とか集中している時は、唇がほんの少し尖るところも。



 インハイ予選が無事に終わった後の月曜日、体育館の臨時設備点検で部活が急に休みになった。
 せっかくの貴重な時間、やりたい事は一つ、と張り切ってLINEのトーク画面を開いたまでは良かったのだが、こんな時に限って数人いるセフレ全員と都合が合わないという悲劇。
 昼休みの終わり間際、最後の一人にもフラれた俺は、ため息と共にアプリを閉じた。

「……どないしたん?ため息なんか吐いて」
 隣から聞こえた声で振り向くと、が5時間目の準備をしつつ、心配そうな目で俺を見ていた。
「フラれた」
 端的に答えると、は元から大きな目をさらに見開いた。
「侑君でもフラれる事なんてあるんや」
「そらあるわ。、慰めて」
「うーん、私じゃ慰めにならんやろ」

 その言葉を聞いた瞬間、チャンスだと思った。攻めるタイミングを逃してはならない。が今フリーなのは把握済みだ。
「なるなる。今日な、部活休みやねん。デートせぇへん?」
「またそんな冗談言うて」
「冗談ちゃうわ。大真面目に口説いてるやろがい。見てみぃ、この真剣な顔」

 白々しく真顔を取り繕ってそう言うと、はクスクスと笑った。
「悪い男やね。彼女に怒られるで」
「彼女なんておらん」
「え、でもフラれたて……」
「セフレや。今日は相手出来ひんてフラれてん」

 は一瞬ぽかんと口を開けたが、「ああ」とすぐに頷いた。
「そやったんね。……いや、でも、ほんならやっぱり……私じゃ代役になれんわ」
 口は動いているものの、表情も体も固まっているに、俺はぶはっと噴き出した。
「なんや誤解しとらん?フツーのデートに付きうて欲しいだけやで?いきなりクラスメートに襲い掛かるほどケダモノとちゃうぞ」

 後半、ちょっと不貞腐れた顔でそう言うと、は慌てた様子で首を振った。
「ごめん、違うん、そういう意味じゃ」
「フッフ、わかっとるて。……で、どない?フツーのデート、しませんか?」
 机に伏せて、視線だけ上げてを見遣ると、「うわぁ」と妙な声を出した。
「侑君、あざとい。自分の顔の使い方、ようわかってるなぁ。イケメンずるいわ」

 ほんのりと染まった頬を可愛いなと思って眺めているうちに、本鈴が鳴った。
「時間切れやな。はい、返事はよ」
「あっ、ええと……行き、ます」
「よっしゃ。ほな、詳しい事はまた後で」
 コクンと頷く仕草も可愛い。

 ――ほーん。惚れたんか。

 あの時、治には否定したけれど、正直よくわからない。
 俺は本気で女を好きになった事が、多分一度もないから。

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