放課後になっても、梅雨空はシトシトと雫を落とし続けていた。
そんな空模様を横目にと並んで玄関に向かいながら、どこへ行こうかと相談をした結果、無難にカラオケでも、という事になった。
飲み食い出来るし、空調も効いているし、何より周りを気にする事なくゆっくり話も出来る。
「鬱陶しいお天気やねぇ。はよ梅雨明けるとええなぁ」
そう言いながら傘を開こうとしたの手をやんわりと押さえると、不思議そうな目がこちらを見上げた。
「せっかくの初デートやん。一緒に入ってこ」
ぱん、と傘を広げて手招きすると、は僅かに躊躇ってから「お邪魔します」と素直に俺の傍らに寄り添った。
「侑君、やっぱりちょっと無理やない?そっちの肩が濡れてもうてる」
しばらく歩くと、が気遣わしげにそう言った。
「ほんならもっと寄って。はい、どうぞ」
腕を差し出すと、はクスッと笑った。
「自然な流れ作るの、ほんまに上手やねぇ」
「せやろ。はい、はよはよ」
クイクイと腕を動かすと、俺のそれよりは二回りくらい細い腕がソロリと絡まった。もうちょい、とねだって、さらに距離を縮めてから再び歩き出す。密着した部分から伝わる、柔らかな感触が心地良い。
――E、いやFくらいあるか?ほんま細いのに、ええ乳しとるな。
不埒な事を考えながら、の歩幅に合わせてゆるゆると歩く。
――処女やないわなぁ、この感じ。けど軽くもない。あんま調子に乗らんどこ。
焦ってがっつくほど飢えてはいないし、それよりも今は知りたいと思う。
の事を、もっとたくさん。
稲高生御用達のカラオケ店で過ごした3時間、肝心の歌を楽しんだのはほんの申し訳程度で、あとは飲んだり食べたりしながらずっと喋っていた。
互いの家族の事、好きな物、趣味、交友関係、進路の事、俺の部活の事も少し。
雑多な内容の話題は、やがて恋バナへと移った。
「って今はフリーやって聞いてんけど、なんで?ちょいちょい告られとるやろ」
フライドポテトを摘まみながら訊ねると、は困ったような笑みを浮かべた。
「ちょっと、自信喪失中なんよ。せやから、2年になってからは誰とも付き合うとらんの」
「自信喪失中?」
「うん。……私、中学の頃からいっつも同じ事言われてフラれんねん」
の方がフラれる、というのは意外だ。
「なんて?」
「……お前は俺の事なんて好きやないんやろ、て」
の元カレが言っていたのと同じニュアンスのセリフに思わず顔を上げると、俯いた暗い表情がそこにあった。
「好きやなかったん?」
「好きやったよ。じゃなきゃ、付き合われへん。好きって気持ちがない人と、一緒になんていられへん。……でも……」
「うん。……でも?」
はメロンソーダを一口飲んで、少し間を置いてから再び口を開いた。
「きっと、私の“好き”は足りてないんやろなぁ、て。……向こうが想うてくれるほどには、私は想うてなかった、って事なんやろなぁ、て」
「好き、が足りてない、か」
「うん。きっと、相手にしたら寂しかったんやろな。……浮気されるのも当然や」
「は?なん、それ。浮気されたん?」
「浮気されたり、そうなる前に“他に好きな子出来てん”ってフラれたり、やなぁ」
「はぁぁぁ?そんなんしたくせに、お前は俺の事好きやないんやろ、って言われたん?」
「あっ、全員って訳とちゃうよ?合わなくてすぐダメになった人もおったし」
「そういう例外はどうでもええねん!」
俺の口調はかなり荒かったと思う。の肩がビクッと跳ねたのを見て、「ああ、ちゃうちゃう、脅かしてすまん」と慌てて詫びた。
「……侑君、怒っとる?」
「うん。むっちゃ腹立っとる」
「ごめん。嫌な話してしもたなぁ」
「ちゃうて!は悪ない。なんにも悪ないやん。せやのに自分の心変わり棚に上げて、彼女を悪者扱いするってなんやねん!俺が腹立つんはそういうクソ野郎にじゃ!」
「……でも私が、向こうの気持ち満たしてあげられへんかったから……」
「あほ!そんなん、お前が夢中になれるほどの男やなかったってだけの話やん!」
「え?」
はキョトンと目を見開いて、俺の顔を凝視した。
「女一人惚れさせる事も出来んて、そんなんてめえの器量不足やろがい!それを女のせいにするってなんなん!?挙句に浮気しといて被害者ヅラ?意味わからん。そないなクソカスのせいで、お前が自信喪失する必要なんて一ミリもないわ!」
まくし立てたせいで乾いた咽喉にウーロン茶を流し込んで、イライラしたままポテトをガツガツ口に運んでいると、がふいっと下を向いた。アレなんかマズイ事言うたか、と焦りを覚えたその直後、の爆笑が響いた。
「っ……ハハハハ!あははははは!」
「何笑とんねん。笑うトコとちゃうぞ、今のハナシ」
「だってっ……アハハハハッ……あはは!……侑君て、スゴイなぁ……ははは!」
肩を揺らして涙を流して、は笑っている。
「オイコラ笑いすぎや。俺がなんやねん。何がどうスゴイねん」
しばらくして笑いが収まったらしいは、おしぼりで涙を拭いてからまたメロンソーダをちょっと飲み、ふーっと息を吐いて「ありがとう」と満面の笑みを浮かべて言った。
「あん?何が?」
「私の事やのに、自分の事みたいに本気で怒ってくれたんが嬉しかった。……それに、目からウロコってこういう事を言うんやなぁって思て」
「???」
「友達もな、は悪くないって言うてくれてん。けど、私はさっき言うた考えからずっと抜け出せんかった。自分が出来損ないなんちゃうかなって、もう一生マトモに人を好きになれないんかな、ってずっと思うとった」
「そんな事ない」
「うん。……私は、ほんまに好きになれる人にまだ出会ってないだけ、やんな?」
「せや。それだけのハナシや」
「ありがとう。侑君のおかげで、自信取り戻せた」
「礼なんていらん。思た事言うただけやし」
「言わせてや。ずっと苦しかったんが、いっぺんにラクになってん。めっちゃ感謝してるんやで」
「ええて。なんやこそばいからもうええて」
「あはは。侑君、意外と照れ屋なん?」
「そんなんとちゃうし。……俺も似たようなもんやから、自己弁護みたいなトコもあったんかもしれん」
は不思議そうな顔で俺を見た。
「俺もな、経験ないねん。ようわからんのや、惚れるってのがどういう事なんか。……だから彼女作るんは中学ン時でやめた。付き合うても続かんからな」
「そっか。……それで、セフレだけ?」
「うん。俺、男やから溜まるモンは溜まるし、お互い割り切って付き合える相手がいるんはありがたいと思てる」
「そうやね。お互い納得してるなら、そういうのもアリやね」
「それになー、カッコつけやのうて、俺ほんまバレーの事で頭いっぱいやねん。彼女いた頃も最優先はバレーやって、それが原因でなんべん喧嘩したかわからへん」
「侑君、ほんまに頑張ってるもんなぁ。全校応援の時くらいしか見た事ないけど、素人目にも凄いってわかったで。カッコええなぁ、これはみんなが騒ぐの当然やなぁって思たわ」
「惚れた?」
「うんうん」
「何がウンウン、やねん。あからさまに嘘やん」
軽く頭を小突くと、はクスクスと笑った。
「そん時は彼氏おったし。……でも、カッコええなぁって思たんは嘘やないよ」
カッコええなぁ。
言われ慣れている言葉。
なのにの口からそれが出た途端、馬鹿みたいに嬉しいと感じるのと同時に、照れくさくて居た堪れない気持ちにもなった。
落ち着かない。だけど。
「……ほんまにそれだけ?」
細い、張り詰めた目に見えない糸を手繰り寄せるように問いかけると、チョコレートの包装紙を剥がしていたの指先がぴたりと止まった。
ほっそりと白いその指を自分の指で搦め取って、子供がするようにぶんぶんと揺らしながらもう一度訊ねた。
「なぁ。……それだけなん?」