04

 実際には短いはずの沈黙が、長く感じられた。
 の唇が、押し出すようにして言葉を紡いだ。
「前は、それだけやった」
「……今は?」
 頼りない指を、5本全て搦め取る。
 でも本当に搦め取りたいのは。
 繋がれた手。
 でも本当に繋ぎたいのは。

「この間も、全校応援行ったやんか」
「うん」
「去年とうて、めっちゃドキドキした」
「ほんま?」
「私……私な、隣の席になってからずっと、侑君の事が気になってるん」

 ひた、と絡み合った視線が合図になった。
 テーブル越しに顔を寄せ、唇を重ねた。
 言葉よりわかりやすく、単純に。何かの約束事のように。
 ぷるりとした唇の感触を惜しみつつ、少しだけ距離を取って告げた。
「おんなじや。俺も席替えの日からの事が気になっとった」
「ほんま?嬉しい」
 互いの息遣いさえ感じ取れるこの距離が、にもかかわらずもどかしい。
 だから、もっと。

「惚れるってようわからんて、俺さっき言うたけど」
「うん」
「バレーが絶対、最優先やけど」
「うん」
「……それでも良かったら、俺と付きうて」
 重なり合ったままの小さな手が、ピクンと揺れた。
「私も、ほんまに好きってどういう事かわかってへん。……それでも良かったら、喜んで」

 もう一度軽く唇を触れ合わせて、次には顔を見合わせて、ふ、と二人して笑った。
「……なぁ」
「うん?」
「めっちゃ抱きしめたいんで、立ってもろうてええですか?」
「なんで敬語なん」

 が笑いながらテーブルの向こうで立ち上がった。
 大股で部屋を横切って、華奢な体を思うさま抱きしめると、の匂いが鼻孔いっぱいに広がった。
「は~ええ匂い。……アカン、ムラムラする」
 腕の中で、が噴き出した。

「正直やなぁ」
「ちゅーしたい」
「さっきしたやんか」
「あんなんやのうて、本気のやつ」
「……してもええよ」
「アカン。今そんなんしたら、ここで押し倒しそうや」
「それは困るなぁ」
「せやろ?せやから悩んでんねん」
「深刻な悩みやね」
てる場合やないっちゅうねん。自分だけ余裕の顔しよって腹立つ」
「クラスメートにいきなり襲い掛かるようなケダモノやない、て言うたやん」
「言うたな、うん、確かに言うた。けどお前はもうクラスメートやのうて彼女や」
「あ、せやった」

 弾けた笑い声がくすぐったくて、可愛くて、“深刻な悩み”がポンと吹き飛んだ。
 身長差を埋めるために覆い被さるようにして抱きしめ直して、不思議に甘い気がする舌を味わっているうちに、理性までもがどこかに吹き飛びそうになった。
 ヤバいかコレ、ヤバいな、と思っていると、がふはっと笑った。

「オイ。笑うトコか」
「だって……当たっとる」
「しゃーないやん。オトコノコやもん」
「せやなぁ。……キス、上手やね」
「お互い様、て言うとくわ。相性ええんちゃう?」
「うん、気持ち良かった」
「……お前な、人が必死で辛抱しよるのに、煽るような事言うなや」
「ゴメンナサイ」
「嘘。素直で可愛い」
「ありがとう。……侑君て、えらいストレートやんな。嬉しいけど、恥ずかしいてかなわん」
 染まった頬を胸に押し付けるようにして隠そうとする、その仕草がまた可愛い。
「あーアカン!ほんまにアカン。限界。……ちょお、離れとく」

 そろそろと体を離して元の席に戻り、気分を落ち着かせようとウーロン茶のグラスに手を伸ばしたら、残念ながら空っぽだった。
「おかわり頼むけど、もなんか飲む?」
「あ、じゃあ……私もウーロンもらおかな」
「食いもんは?」
「晩ご飯入らなくなったら困るから、やめとく」
「おっけ」

 注文したウーロン茶二つが届くまでの間に、俺は大事な事を忘れていたのに気付いてスマホを手にした。
「ちょお、これ見とって」
「ん?なに?」
 が見ている前でLINEのトーク画面を開き、セフレ全員に同じ文章を送信。
 ――彼女出来たからもう会わんわ。今までありがとう。

 ウーロン茶が届く頃にはぽつぽつと既読が付き、返信も送られて来た。
 り、おめ、の合計三文字だけの奴が最初だった。薄情か。
 次は、いいねとおめでとうのスタンプだけの奴。コイツは元々スタンプ好き。
 おめでとうのスタンプに続けて、仲良うね、良かったね、と送って来たのは例の先輩。
「よし、身辺整理終了や」
 全員とのやり取りを見せてそう言うと、が「ありがとう」と言った。
「礼なんかいらん。当然の事やんか。……せや、写真も消しとこ」

 カメラロールを見せながら、女と写っている写真をポンポン削除していくと、が途中で「ちょちょちょ」と俺の指を押さえた。
「そんな、女の子と一緒やからって、全部消さんでもええんよ?せっかく撮ったのに」
「特に思い出ある写真でもないし、いらん。勝手に撮られたんばっかりやしな」
「そんならええけど……私も写真、消そか?見る?」
「いや、ええよ。自分で見て、いらんと思うモンがあったら消したらええ。残しときたかったら、そのまんまでええし」

「侑君、心が広いなぁ」
「どうやろ。わからんぞ?惚れてもないくせに、元カノにはヤキモチ焼いた事もあったしなぁ。……あーでも、それはアレや、オモチャ取られるのがおもんない、ぐらいの気分やったかもしれん」
「上手い事言うねぇ。そういう心理はあるかもしらんなぁ。……私も、実はめちゃくちゃ嫉妬深かったらどうしよ」
「その時はその時に考えたらええねん。今から気にしとってもしゃーないやん」
「うん、せやね」
「ほな、思い出になる写真でも撮ろか」
「撮るー!」

 普通に撮って、アプリで撮って、カメラロールにはあっという間に大量の写真が保存されていった。
 変な顔、これひどい、この加工ウケる、これエエ感じ、と感想を言い合いながら写真を眺めていると、のスマホが通知音を鳴らした。
 素早く画面を操作してメッセージを見たは、一瞬驚いたような顔をして、それからにまにまと口元を緩めた。

「LINE?返事してええで」
「あ、うん、ありがとう」
「何ニヤニヤしとん。言えんような事なら聞きませんけど~」
 からかい半分、興味半分でそう言うと、「言えん事ないよ!」とは首を振った。
「侑君の事、聞かれてん」
「俺?なんて?」
「いつも一緒に帰ってる子に、用事出来たからって今日断ってんけど、侑君と歩いてるとこ見とったらしゅうて、どういう事やの?今も一緒なん?て聞かれた」
「へえ。ちょうどええやん、写真送ったれや。……コレなんかええんちゃう?」

 いかにも“ボク達付き合ってます”と言わんばかりの一枚を指すと、は「ほんまにこれ?」と小首を傾げてこちらを見上げた。
「付き合う事になったて言うてもええの?」
「もちろんええよ。言いふらす事やないけど、隠す事でもないやん。他でも誰かに聞かれたら、そのまんま言うたらええ。俺もそうするし」
「うん、わかった」
 それから少しの間スマホをいじっていたは、「ありがとう。終わったよ」と少し照れたように笑ってアプリを閉じた。

 こういうふうに素直に何度でも感謝の気持ちを言葉に出すのは、こいつのいいところだなと思う。
 もっと知りたい。俺の事も、知って欲しい。
「ここ、そろそろ時間来るけど、もう帰らなあかん?」
 は壁の時計を見上げて、「ううん」と首を振った。
「ウチ、特に門限はないんよ。一応9時までには帰るようにしてるけど」
「ほんなら、も少し一緒におらへん?帰り、ちゃんと送ってくから」
「うん!やったぁ」

 心から嬉しそうにぱあっと笑った顔を見たら、なんだか。
「……ヤバ……」
「ん?なに?」
「いや、独り言」

 よくある陳腐な表現だけれど、そうとしか言いようがない。
 ハートを撃ち抜かれました、ってきっとこんな感じだ。
 でも、これが初めてじゃない。
 意識していなかっただけで、多分もう何度も撃ち抜かれてる。

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