06

 憂鬱な期間がまた近付いてきた。
 学生である以上、避けて通る事が出来ない定期テストが。
 インハイ目前だと言うのに、部活が長々と休止になるのは納得がいかないし面白くないし、何より暇で仕方ない。
 前ならこんな時はもっぱらベッドの上でストレス発散する事にしていたが、セフレとは綺麗さっぱり切れた今、この長く退屈な期間をどうやって過ごすべきか。
 答えは簡単、と色々な意味でさらに深くお近付きになればいい。

 付き合い始めてからも俺は宣言通り部活最優先で、帰宅は毎日8時過ぎ。飯と風呂を済ませる頃には、9時をとっくに回っている。
 朝練は7時開始だから、6時には起きないと遅刻する。逆算して、遅くても11時には寝るようにしたい。翌日の支度と寝る前の準備を差し引けば、自由に使える時間は1時間半程度。
 土日は7時頃には帰るけれど、飯と風呂の後に出かけるのも億劫だし、ちょっと一休みと思っているうちにそのまま寝入ってしまう事も多い。

 そんな日々の中でとの繋がりと言えば、LINEのやり取りとたまに通話、他はせいぜい休み時間に喋ったり、昼休みを一緒に過ごすくらい。
 中学時代の元カノたちはこういう状況に不満を漏らし、イラついた俺が「ほんならもうええわ」とぶった切って終わり、というパターンだった。

 とは、今のところ全くそういう気配はない。
 むしろ、繋がっていられる時間が短いからこそ、お互いそれを大切にしているし、心から楽しみにもしている(と思う。多分。俺だけじゃない、と思いたい)。
 でも、そろそろ物足りなくなりつつある。
 主に俺が。主に男の生理的な事情で。
 部活が出来ないのは嫌だけれど、テスト休みは絶好のチャンスだ。そう思うと、俄かに楽しみに思えて来た。



 そしていよいよ明後日から部活休止、という日の昼休み。
「……え?」
「……え?」
 机を向かい合わせて弁当を広げながらの会話が、なんとも微妙な感じで途切れた。
 モグモグモグモグ、ごっくん。
 弁当の最後の一口をゆっくり咀嚼して、飲み込んで。

 その間に俺と同じく、も食事を終えた。
 ごちそうさまでした、と手を合わせて、弁当箱を片付けて、お茶を飲んで落ち着いてから俺は再び口を開いた。
「いや……いやいやいや、ちょお待って、もっかい言うて。……今、なんて?」
「せやから、勉強頑張らななぁって……」

『なぁなぁ、明後日から部活テスト休みやねん!どっか遊び行こ!』
『もうすぐテストやねぇ。範囲広いから、勉強頑張らななぁ』
 全く異なる事を同時に喋った俺たちは、同時に『……え?』と顔を見合わせた。
 それが約1分前。

「なんでやねん!」
「なんで、やないよ。テスト前に勉強するんは当然やんか」
「ハァァー!?そんなん適当でええやん!この機会逃したら、次いつデート出来るかわからへんのやぞ!」
「それはそうやけど……」
「お前は俺と一緒におりたないん?……ってメンドくさい彼女か!」

 自分で自分にツッコんだ俺は、ズーンと気分が暗くなった。
 つい弾みで元カノみたいな事言うてもうた。死にたい。
「侑はテ……」
「待って。今言うたんは忘れて。頼むし、忘れて。忘れてくれんと俺は死ぬ」
「わかった」

 その言葉にホッと胸を撫で下ろしてから、不吉な予感を覚えつつ訊ねた。
、お前もしかして、勉強好きなん?」
「そうやね、嫌いではないなぁ。わからん事がわかるようになるんは、楽しい」
「マジか……」
「侑は授業中よう寝てるけど、部活で疲れてるから……だけやなさそうやね」
「……」
「赤点取ったら、インターハイ行けへんのとちゃう?運動部は、確かそうやんな?」
「……」

「私もデートはしたいけど、それより侑のカッコええとこ、たくさん見たいなぁ。また全校応援行けるのん、めっちゃ楽しみにしてるんよ」
「ほんま?」
「うん。せやから、勉強頑張ろ?」
「……ハイ」
 ――なんや上手く乗せられた気ぃするけど……嫌や、なんて言えん空気や。

「良かったら、一緒にテスト勉強せぇへん?」
「する!!」
 そういう事なら話は別だ。勢い込んで返事をしたら、にっこり笑ったに「うん、ええ子」と頭を撫でられた。
 普段の俺なら、馬鹿にしとるんか!と噛み付いている。でも、なんだろうこの感じ。
 悪くないと思った自分が確かにいて、背筋がムズムズした。
 年上のオネエサンに可愛がられるのは嫌いじゃないけれど、は同い年なのに。



「嫌やー!なんでやねん!」
 テスト勉強初日、俺は叫んだ。
 なぜならば。
「うっさいわ、喚くなや。……最初は現文からやったっけ?」
「うん。漢字の書き取りだけでも完璧にしておけば、けっこう点数稼げるはずやから、まずはそこから始めたらええかな思て。とりあえずノートを……」
「オイコラ待て。俺を置いて話を進めんなや!なんでコイツも一緒なん!?」
 鼻先に突き付けた俺の指を、治は邪魔くさそうに、雑に払った。セッターの指に何さらすんじゃこのクソボケ。

「なんでて、同じ部屋におるんやもん、一緒にやった方がええやん。治君も赤点ヤバい言うし、チームの主力二人が揃って試合に出られへんとか、シャレにならんやろ」
 に冷静に返されて、俺はがっくりと肩を落とした。
「嫌やぁ。……手取り足取り、二人きりで教えてもらう予定やったのに……」
「お前、何を教えてもらうつもりだったんや。……、ウチ来て正解やったな」
「うん。二人きりやったら、私もダラけてしまうかもしれん思てな、お邪魔させてもらう事にしたんよ」

お前、昨夜気ィ利かせろ言うたやろがい!なんで家におるんや!」
「お前それ、茶の間で言うたやろ。台所でオカンが聞いててん。テスト期間やのに遊びになんて行ったら、晩飯抜きやからなって脅された」
 しまった、と思っても遅すぎる。母親の地獄耳、侮れない。

 そんな軽い悶着はあったものの、その後は俺と治にしてはかなり真面目に頑張った。
 が40分ごとに5分の休憩を入れてくれたおかげで、そこそこ集中する事も出来たし、わからない事はすぐ教えてもらえる。

「次は英語やね。ノート出して」
 差し出した俺と治のノートを見て、はハーッとため息を吐いた。
「これも見事に真っ白やなぁ。……ほな、英語も私の写してな」

 授業中はたいてい寝てしまうから、ノートが真っ白なのは当たり前。全部起きていられる授業なんて、体育ぐらいなものだ。
 のノートはわかりやすく要点がまとめられていて、いかにも勉強が出来る奴、という感じで、治と一緒になって「スゴイなあ」「ノートてこんなふうに書くんや」と感心してしまった。

 この日は現文、英語、数学、と順に片付けた。
 ノートを写すところから始まるから、順調な進行具合とはいかず、基礎問題くらいしか出来なかったけれど、が丁寧にわかりやすく、かつ優しく教えてくれたので、「これならイケるかも」と希望が見えて来た。

 この問題解いたら今日は終わりにしよか、と言われた一問をウンウン言いながらやっつけて、出来たー!とシャーペンを放り出したら腹がぐうっと鳴った。
「なぁ、部活せんでも腹は減るんやなぁ」
「知らんのか、頭使うのも腹は減るんやで」
「マジか」

 動いていないのに腹が減るのは理屈に合わない気がするが、現実に空腹な訳で。
 情けない音を立てる腹を押さえていると、トントンとノックの音がして、母親がひょこっと顔を出した。
「勉強の調子どない?そろそろご飯やで」
「えっ!?もうそんな時間!?ごめんなさい!すぐ帰ります!」

 ペコペコ頭を下げて、慌ててノートやら教科書やらをカバンに詰め込んで帰ろうとしたを、俺と治、母親の三人で引き留めて説得して、向こうの親にも連絡をして、ようやく一緒に夕飯を食べる事になった。

 女の子がおるんはええなぁ、家の中がぱあっと明るうなるわ、ちゃんは食べ方が綺麗やねぇ、お母さんの躾がええんやねぇ、などと言って、うちの母親は終始上機嫌だった。

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