新学期初日、席替えがあった。
と言っても、俺と銀島の男バレ部員二人は体格が理由で定位置が決められている。俺は窓際の一番後ろ、廊下側の一番後ろに銀島。
は2列右側の斜め前の席になった。離れるのは覚悟していたし、昼休みに一緒なのは変わらないのだが、それでもやっぱり寂しい。
ちょっとした救いは、の両隣が女子だった事。俺とが付き合う切欠は席替えだったから、隣が男じゃなくてホッとした。
俺のお隣さんはと言うと、クラス内でも全く付き合いがない、大人しいメガネ男子。よろしく、と挨拶は交わしたものの、それだけだった。
翌日には実力テストがあり、その後すぐに学祭の準備が始まった。
うちのクラスの出し物はメイド喫茶。
恐ろしい事に、メイド服での接客は男女半々でやる事になった。一日目と二日目の交代制だが、両日で10人の男が犠牲者になる計算だ。
ネタとして男のメイド姿は笑える。でも、自分が当事者になるのは避けたい。
誰もがそう思っているであろう確率約1/4のくじ引きの結果は、幸運にもハズレだった。
くじでハズレを引いてこれほど嬉しいと思うのは、後にも先にもこれきりじゃないだろうか。
見事アタリを引いた男たちの野太い悲鳴が教室に響き渡る中、女子のくじ引き開始。
気になっての様子をじっと見ていたらどうやらアタリだったらしく、くじを握りしめたままパタッと机に突っ伏した。両隣の女子が、の肩を叩いて笑っている。
そのうちむくりと起き上がったが振り向いて、目が合った。
ニヤニヤしながら「オメデトウ」と口の形で言うと、は尻尾を垂らした犬みたいな顔をした。
学祭初日、俺は喫茶の裏方の一人として朝からそれなりに忙しい思いをしていた。
本当は明日が当番のはずだったのだが、が初日だと言うので、同じく初日の奴に頼んで交代してもらった。
やがて裏の準備が終わり、ホッと一息吐いたところで、着替えを終えた男メイド5人がぞろぞろと姿を現した。
「おはようございますご主人様!」
裏声を揃えて全員でポーズを決めたゴツいメイドに、教室内は爆笑の渦に包まれた。
俺もアタリだったらコレをやっていたのかとゾッとする一方で、“オイシイやん”と思ってしまうのは関西人のサガだ。
お前らノリノリやんけ、写真撮ろ写真、スネ毛きっしょ、とワイワイ盛り上がっているうちに、後ろの方からキャーッと黄色い歓声が響いてきた。
なんだなんだ、とそっちに目を向けると、支度を終えた女子メイドたちが到着したところだった。かわいいー、と女同士でキャッキャと騒いでいる。
全員ヘアメイクばっちりの中、だけはいつも通りのスッピンで、ただし髪は担当女子が頑張ったらしく、クルクル巻きのツインテに仕上げられていた。似合っている。
それより何より、メイド服が殺人的に似合っている。
――ヤバい。めっちゃかわええやん。
最初は気恥ずかしそうにしていたもそのうち慣れたのか、他のメイド女子と手でハートを作ったり、写真を撮ったりして楽し気だ。
俺も少し話したいなと思って近付いていくと、気付いたがひらひらと手を振った。
さり気なく肩を抱いて教室の隅へ移動してから、改めて全身チェック。うん、やっぱり可愛い。
パシャパシャ写真を撮っているうちに、は居心地悪そうにモジモジと身じろぎして、顔の前に手を翳してしまった。
「あかん、やっぱり恥ずかしい。みんなお化粧気合入れとってむっちゃ可愛いのに、私だけスッピンなんやもん」
「ええやん。化粧せんでも十分可愛いで?」
「わぁ、フォローが上手やぁ」
本気に受け取っていないのか、はへらっと笑ってそう言った。
「あほ、真面目に言うとるんやぞ。ナンパされんか心配やわ」
「まさか。私と侑が付き合うてるん、みんな知っとるやん?」
「俺の女や知っとっても、手ぇ出さんとは限らんやろがい」
現に俺は告られたし、とは言えないからそこは呑み込んでおく。
「侑は意外と心配性やなぁ」
「ちゃうわボケ。こんなん他の女に思た事ない。お前やから心配なんじゃ」
膨れっ面になっているのを自覚しながら言ったら、はうっすらと頬を染めて微笑んだ。
「嬉しい。ありがとう」
「おう」
「明日、一緒に回るん楽しみにしてる」
「うん。俺も」
抱きしめたくてウズウズしている手を握ったり開いたりしていると、「コラァそこ二人!いつまでイチャついとんねん!開店準備手伝えや!」と実行委員から怒鳴られた。
スンマセンー、と叫んで、俺たちはバタバタとそれぞれの持ち場へ向かった。
翌日の学祭二日目は一般公開日だ。もっとも、稲高の場合は事前に許可された招待客しか入れないので、それほどひどい混雑はない。
とりあえず腹が減るまで適当にブラブラしようと、と二人で各教室を回った。
縁日、お化け屋敷、おふざけ動画の上映会、ホラゲー再現、脱出ゲーム、美術部の展覧会、PC部のCG展示、などなど。
どこもそれぞれ力が入っていて、思っていた以上に楽しめた。
特にお化け屋敷は昨日も大賑わいだったらしく、廊下にまで悲鳴が響き渡る盛り上がりっぷり。
彼女をカッコ良くエスコートして、とはいかず、二人してビビりまくってしまったけれど、が楽しそうにしていたのでよしとしておく。
昼近くなり、縁日で釣ったヨーヨー片手に体育館に向かうと、軽音部がハイレベルな演奏を披露していて、うっとりしている女子が大勢いた。
この手の男連中には、俺みたいな体育系のそれとは違うタイプのファンがいるのは知っていたけれど、ここまで盛況だとは想定外でちょっと驚いた。
「ぼちぼち腹減ったなぁ」
「せやなぁ。何か食べよか」
「治がたこ焼作っとるはずや。オゴってもらお」
「タカる気満々か!」
みんな腹が空き始める時間帯なせいか、治のクラスはずいぶんと混み合っていた。たこ焼き、フランクフルト、ポップコーン、わたあめ、クレープ、どれも行列が出来ている。
順番が来て、「よう」と治に声を掛けると、「オゴらんぞ」と真っ先に言われた。
普段ならゴネるところだけれど、後ろに並んでいる人のために我慢して大人しくしていたら、治はオマケのたこ焼きをぽいぽいとケースに放り込んでくれた。
「サンキュ!」
「おう。むっちゃウマいから心して食えや。自信作やで」
その言葉通り、たこ焼きは本気で美味かった。
「あっつ!あつっ!美味っ!」
「チーズ入っとる!美味しい~」
熱々のたこ焼きを頬張りつつフランクフルトを買い、ポップコーンも買おう、とそっちにも並んだら、角名がダルそうに売り子をしていた。
いらっしゃい、と型通りの挨拶をした後、澄まし顔で角名が続ける。
「どれにしましょうか、お客さん」
“お客さん”の一言で『オゴらないからね』と圧をかけられて、「ケチくさっ」と文句を垂れてからキャラメルとバターを一つづつ注文したら、コイツもこっそり大盛りにしてくれた。
――二人とも、エエとこあるやん。
「アカン。軽く食ったら余計に腹減った」
「あはは。ほんなら、食堂行こか」
そこで特盛りカレーを平らげて、ようやく空腹感が消えたと思ったら、今度は睡魔が到来。
欠伸を噛み殺していると、がクスクス笑った。
「お腹いっぱいになったら、眠くなったんやろ」
「うー、んー、ちょびっと」
「午後は空き教室でノンビリしよか。もう一通り見て回ったし」
「無理しとらん?がもっと回りたかったら、言うてええんやで?」
「無理なんてしてへんよ。行こ行こ。……あ、飲み物だけ買うてええ?」
「うん、俺も買う」
校舎の端っこにある空き教室は物置代わりに使われていて、机と椅子、それに何が入っているのかわからない段ボールが乱雑に積み上げられている。
椅子二つと机一つとを空いているスペースに置き、埃が積もっていた表面はがポケットから出したティッシュで丁寧に拭いた。
眠くても、寝てしまうのは嫌だ。せっかくと二人でいられる時間を無駄にしたくはない。
途中で買ったペットボトルのお茶を飲みながら、午前中に回った展示の事とか、昨日のメイド喫茶の事なんかをダラダラと喋る。邪魔者がいないひと時はとても楽しい。
「稲高はブラバンがスゴイのは知っとったけど、軽音も上手なんやねぇ」
がそう言ったのは、眠気がすっかり抜けた頃だった。
「俺も知らんかった。ギャラリー多かったなあ」
「うんうん。ギターの人カッコ良かったわぁ。指がエライ事なっとって、見とれてもうた。あんだけ思い通りに楽器弾けたら、楽しいやろなぁ」
その言葉を聞くなり、ムカムカと腹の底が熱くなった。
「カッコええよなぁ、バンドマン」
俺の口調はかなり嫌味っぽかったと思う。でもは気付かなかったようで、至って素直に頷いた。
「うん、ほんまにスゴかった。練習いっぱいしとるんやろねぇ」
そんなの、そんなのは。
「……俺かてしとるわ」
低い呟きは、の耳にギリギリで届かなかったらしい。
「ん?なんて?」
「なんも言うとらん」
尖ってしまった声音に、が怪訝な顔をした。
「何怒ってるん?」
「怒ってへん」
「怒ってるやん」
じいっと目を覗き込まれてフイッと逸らしたら、両手で頬を挟まれた。正面を向かせようとするその手に、俺は逆らった。
「何でもないて」
「嘘やん。ねぇ、こっち向いて」
「嫌や」
「なんで?」
「今は顔、見られたない」
「気に障る事言うたなら、ちゃんと謝りたい。せやから、教えて」
わかってる。ものすごく幼稚な嫉妬なんだって事くらい。
でもいくらそうだろうと、これは“オモチャを取られるのが嫌”だなんて気持ちとは全然違う。
もっと強烈で、ドロドロしていて、体の芯から噴き上げてくるような。
邪魔な机を乱暴に退けて、その勢いのまま力任せに抱き寄せると、はびくりと体を震わせたが、すぐにそろそろと細い両腕が背中に回された。
何度かキスをするうちようやく静まり始めた、けれど不格好な事は変わりない感情が言葉になって滑り出た。
「……他の男、褒めんなや」
耳元でそう言うと、が驚いたのがわかった。
「ごめん。そんなつもり、なかってんけど」
「わかっとる。けど、嫌や」
「侑が一番カッコええよ」
「知っとる」
「侑しか好きやないよ」
「知っとる」
――ああもう、俺カッコ悪!ガキか!
でも、そういう事なんだろう。
こんなカッコ悪いところを晒してしまうのも、心のコントロールが効かないのも、全部。
全部、好きだから。